[東京物語] 都会人ならではの要らぬ瞑想

​パンダ特別保護区で日々唯々只管にパンダを世話をしている人、の特集を観た。正しくは、パンダと取り巻く人の特集かも。そこでは、パンダも日々唯々只管に今を生きている。誰一人、どれ一匹として老後を考えてる者なんかいない。

​一方で都会に目を向けると、老後を案じて悶々と思考を巡らしているのは私だけではない筈だし、少なくない筈。両者の違いは、その者を取り巻く要素の多さなのかも

パンダの世界では、何をしようなど悩むほど選択肢がない。身近の世界が実に身近で見える。対し、大都会に行くほど選択肢は無限。数多過ぎて何も身近に感じない。それは何も知らないからだ。

かつての欧州は、今も限定した地域ではきっとマイスターな文化が残ってる。15そこらな子供が将来の道を決めるなんて無茶ぶりも甚だしいと思っていたがそうではないのかも知れない。
今や都会の大半を占める会社員。営業職だったり企画職だったり管理職だったり製造部門だったりと配属は様々だが共通しているのは子供から見えない世界であることだ。マイスターが今も残る地では、子供は親の仕事ぶりを見ることができる環境にいるのではなかろうか。それで、親の職業を身近に感じ、親身を覚え、ゆくゆくはそれを目指す。非常に自然である。自ずと家業が引き継がれて伝統ができる。かつての日本だってそうだ。選択肢が限られていることの幸せ。世界が限られていることの幸せ。

東京にはありとあらゆる物が溢れている。選択肢も溢れている。まずは、どんな選択肢があるのかを模索し、見つかると今度は自分の手で握れるものかを測らなければならない。そんな方法なんて義務教育で教わっていない世代たちは、そのステップがあることすら気付かずに会社員になる。親が会社員だからという理由だけで。ある意味、伝統を引き継いでいる。

それが永遠と続くものなら結構。しかし、そうではない。何もかも欧米化を目論む日本国は、そんな庶民なぞお構いなく良し悪しの判断を疎かに見切り発車で続々と輸入を続ける。どっちみちピラミッドな終身雇用は崩壊間近だけど、完全ある実力主義、手に職主義がそこまで来ている。今現在、単なる会社員している人が会社から弾き飛ばされるのは時間の問題。その人が社会からも弾き飛ばされない為にできることは何か?

tag : 東京物語

2017-03-22 02:06 : 考察 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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