[東京物語] ハイコンテキスト文化からローコンテキスト文化への変化の時

​日本が​ハイコンテキスト文化で、それに対し米州はローコンテキスト文化だと言われる。ハイコンテキスト文化とは、いわゆる空気で会話する文化で、ローコンテキスト文化は何でもはっきりと言う文化。日本は生活様式のみならずコミュニケーションに於いても欧米化​の波に乗ってローコンテキストへのシフトしつつある気がする。​いずれは、完全にローコンテキストになるのだろう。​

ローコンテキスト文化の代表と言えば米国だろう。米国は好き好んでローコンテキストなのではなく、人種のるつぼでの生存術として人々に浸透したものだ。まったく背景の異なる人間に敵視されない為にはっきりと自分は敵ではないこと言い伝える必要があったのだ。
対し、日本がハイコンテキストで意思疎通ができたのは鎖国のお陰。とうに開国しつつも実質は鎖国同然だったお陰。祖父母も祖祖父母も皆同じ空気吸って同じような人生を送って来たから意外な思想に出合うことが極めて少ない。阿をいえば吽が伝わるのだ。

しかし、そんな日本も変化の真っ最中だ。それも、ローコンテキストへの変化。海外に対する偏見の少ない国民が成人するに連れて、情報がネットを介してますます流動的に流れ込むに連れて、低賃金労働者を国外より招き入れるに連れて着実に開国してきている。​状況はかつての米国近づくばかり。街中を歩いていても背格好や身なりが明らかに違う人とすれ違うことが劇的に増えている。ローコンテキストへのシフトは止められる波じゃない。

では、そのローコンテキスト​へのシフトは評価されるべきものなのか、それとも想定される事態に備えて策を講じるべきものなのか?

tag : 東京物語

2017-03-22 01:42 : 考察 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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